●文京区千駄木・本駒込路地裏文化のひとつ

 
2016年5月26日

 

文京区・千駄木にはもう一つの、やや不思議なことと感じることがある。

千駄木駅に隣接した須藤公園を越えて、緩やかな坂を上っていくと、結構立派な家が並んだ場所が続く。

俗に言われる山の手です。しっとりとした中流の家庭の方々の居住区と感じる。
先日もガーデニングのある風景を楽しみながら、まだ訪れたことのない道筋をたどって、散策していましたが、何度も何度も行き止まりに遭遇しました。

元来た道に戻るしかない袋小路。立派な家々と思いながら、抜ける道のない不自然さをすこし感じた。

不忍通りでも、俗に言われるような下町地域では、同様なことは多いが、必ずといっていいほど、人一人は抜けられる抜け道があって、通りに出られるものという勝手な先入観がある。が、どうもここはそういう便利さは期待できないようだと感じ取れた。

そういうものかなと自分を納得させている。

そして、文京区での最も地形上高度の高い場所にある狭いけどしっかりと整備された道路に出ると、屈指の住宅地になっている。

そこでは、電信柱は撤去され、幅広いレンガを敷き詰めた歩道とあいまって、景観がまたガラリと変わって、住宅地として素晴らしい存在感を発揮する。
区割りも明確になって、勿論行き止まりの道などは見当たらなくなります。

ファーブル館もこの一角にあります。

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荒尾 稔さんの写真

  

コメント

 ●電線地中化が一般に価値が認められる日本社会になることが私の願いです。ヨーロッパでは普通なのに。

 ●ファーブル館は私の会社の東京営業所が有った場所です。館長の奥本大三郎さんはその名前を冠した製粉会社の初代社長の三男坊で同じ敷地に住んで東大に通っていたそうです。
 長男の晋介氏が社長の時私は入社し、大三郎さんと  は私が田端に住んでいたので私がジョギング中で彼が散歩中に時々お会いして挨拶していました。

 会社の株主だったので届け物をしたことがあります。彼の書いた『虫の宇宙誌』が読売文学賞を受賞してからの著書は殆ど読んでいます。・・ 奥本大三郎

 奥本 大三郎(おくもと だいさぶろう、1944年3月6日 - )は、フランス文学者、エッセイスト、大阪芸術大学(学校法人塚本学院)文芸学科教授、埼玉大学名誉教授、
 NPO日本アンリ・ファーブル会理事長、虫の詩人の館(ファーブル昆虫館)館長。 大阪府貝塚市出身。

 

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  2016年5月20日

東京都文京区の根津神社から上野不忍の池の周りまで、不忍通り沿いに、たくさんの露地道が、今でも健在です。
それもバリバリに利用されていて生き生きとした生活の場として、また公共の生活道路としても活用されています。。

まあ、狭すぎて自転車程度しか入り込めない場所も結構あって、それなりに変化に富んでいます。
これからも当分このままの生活環境で、大きく変わることはないと思います。

東京・千代田区・神田界隈の路地は、すでに実質生活の場として壊れてしまっていました。

文京区の不忍通りでも、本駒込地域では、区画整理がきちんとなされてきた、
それゆえに大通りはマンション群に、商店街や住宅地はミニ住宅群が、どんどん入り込んで、改めてコンクリートで囲まれた新興住宅地に変身してしまっています。

それらと比較して、この地区では奥行きが深い露地になっている箇所が散見し、そのために地域の変化が遅々として進まないということもあった。
過去のままの生活スタイルが、そのまま継続されている箇所といえそうです。

それなりに濃厚な生活を、逆に求めての観光客の姿もぽつぽつと観察できる地域でもあります。

本日はお陰様で、素晴らしいガーデニングの現場もあって、楽しいぶらぶら散歩となりました。

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い ま

 

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